Story

もくじ

第1章 先生からママになった日〜    
第2章 コドモにもママにも役立つこと
第3章 いのちが残していったもの〜   
第4章 真夜中の出会い〜        
第5章 人生の転機〜          


第1章 〜先生からママになった日〜

 保育士・幼稚園教諭として関わってきた子どもたちは、どの子も魅力的で大好きでした。

そしてそんな保育という仕事が大好きで誇りでした

2013年の春、出産してママになりました。

担任を続けながら育児、という選択肢は、私にはありませんでした。

やるなら一生懸命全力でやる、私はそんな性格でした

わが子はとても愛おしくて、大変だけれど、幸せな毎日でした

でもいつからだろう、何かに苦しめられているような感覚。

一人でわが子と触れ合っている自分。

そんな自分を空から見てみたときに、あれ、と思ったのです。

「私、このままでいいのかな。」

わが子と思いっきり、今しかない日々を過ごしたい!

そう選んだのは私なのに。

保育では当たり前の「子どもの最善の利益」を追求する一方で、

「私の最善の利益」をなくしかけていました。


第2章 〜コドモにもママにも役立つことを〜

 子どもの頃から、ミシンが好きでした。

お母さんは、私がお気に入りのぬいぐるみのための布団を作ってくれたし、

大好きだったお洋服が着れなくなった時はバッグにリメイクしてくれました。

学習発表会の衣装のドレスは、徹夜で生地から作ってくれました。

あの時は嬉しかったなぁ。

そう思い返しながら、私もわが子を想いミシンをカタカタ。

作ったものは、スタイやパンツ、マスコットやクリスマスのアドベントカレンダーまで様々。

そのうち、ママになった友達から「私にも作って」とお願いされるようになります。

「これ絶対売れるよ!」

そんな言葉を真に受けて、フリマやハンドメイドサイトで売ることにしたのです。

オムツポーチ、幼稚園バッグ、エプロン、親子おソロのヘアバンド、

数えきれないほどの作品を作りました。

本当にたくさん売れて、「ありがとう」の言葉や子どもの笑顔の写真もいただいたりしました。

わが子とも関われるし、親子も笑顔にできる。

いつからか、私はそんなお仕事をしたいと思うようになっていきました。

そんな時、私の心の中には、大好きな「保育」が大きくなり始めていました。


第3章 〜いのちが残していったもの〜

 2度目の妊娠で赤ちゃんを授かり、心拍が確認できた頃。

「ママ、赤ちゃんイチゴくらいなったかなぁ?」笑顔で聞くわが子。

今日は健診日でした。パパと3人で診察室に入り内診、医師が言った言葉は

「心拍が確認できません。」

私は頭が真っ白になりました。

受精卵の都合でいのちが終わってしまう稽留流産でした。

となりで小さなお姉ちゃんが嬉しそうに言いました。「ママ、赤ちゃん大きくなったって?」

涙が止まりませんでした。

ここに、私の中にいたのに、守ってあげられなかった。

「お母さんのせいではありません。」

そう言われても、私は私を責め続けていました。

隠れて泣いて泣いて、日々泣き続けました。

そしてふと、空に帰ったわが子を感じて思ったのです。

「きっと、あの子はこんな私を望んでたんじゃない。」

あの子が伝えたかったもの。

それを何か形にして残したい。

「いのち」を強く再確認した私だからこそできるもの。

それは、やっぱり一人ひとりのいのちを、個性を、生きる力を大切にする「保育」でした。


第4章 〜真夜中の出会い〜

毎晩、保育と私のできることについて探しまくっていました。

そんな時スマホの中でasobi基地に出会ったのです。

保育士が、保育園の外で活躍してる。

そんな活動に一目惚れしました。

「保育を、園の外でやってもいいんだ!」

まさに目からウロコでした。

保育の中で感じていた

「子どもにとって、学びとはあそびで、あそびとはすべて」

「こどもは生まれた時からすべてを持っている」

そんな感覚を、地域社会に出すことにしました。

園で行なっていた「保育参加」を地域でやる、そんなイメージ。

こどものチカラと、保育士のスキルを、オープン保育で地域に届けるイメージ。

 

一人の力ではできないと感じた私は、クラウドファンディングに挑戦しました。

たくさんの人の共感と応援が目で見え、何度も泣きそうになりました。

クラウドファンディングは無事、達成率127%で成立しました。

 

そうして「あそび」を通じて「学び合う」場、あそびあいらんどが誕生しました。

初めは保育士の友達数人と、共感してくれた仲間と一緒に運営しました。

口コミで広がり、あそびあいらんどは親子の笑顔であふれていきました。


第5章 〜人生の転機〜

そうして運営していたあそびあいらんどでしたが、

活動の規模が大きくなるにつれて、負担も大きくなっていったのが現実でした。

そして仲間の脱退、信頼していた人への失望、適応障害の診断、と

転機になる日々が続きました。

 

そんな時助けてくれたのは家族でした。

私が私でいられたのは、家族のおかげ。

そうして、私は少しずつ自分を取り戻していきました。

お仕事を依頼してくれていた皆さんも、

私を救ってくれました。

 

その間、私の大切なもの、大切にしたいこと、

たくさんたくさん考えることができました。

日々の子育て、保育、妊娠への想いを記録した「親子大学」は

私が以前救われたように、

今苦しい誰かの心に届けばいいなと思っています。

 

その後、3度目の妊娠、そして無事出産。

様々なことを経験し乗り越えてきたからこそ

できることがあると信じています。


第6章 〜リスタート〜

キアリーの活動は、心から私のやりたいことでした。

そしてきっと今の社会に必要なことだと確信していました。

そんな使命感のようなものが、ずっと私を動かしていました。

 

そんな私に、いつも賛同してくれる仲間がいて、助けてくれました。

一緒にやりたいと言ってくれました。

でも、私の力不足で、いつも仲間は離れていったのです。

気持ちだけではダメなんだ、そう強く感じていました。

いくら続けたくても、大切な仲間の時間や労力には限りがある。そしてそれは私にも。

必要なことを継続していくためには、ボランティアではダメなんだと身をもって気づかされたのです。

 

私は、お仕事としてキアリーを続けていく覚悟をしました。 

勇気をふり絞って、富山県の有名な起業塾に半年間通いました。

たくさんの経営者の中でもまれながら、

夜中子どもに授乳を続けながら、家族に必死に理解をしてもらいながら。

 

そうして学び、考え行動し続けたことが身を結び、起業塾では「優良賞」をいただきました。

その裏には、やっぱり、私の考えに賛同してくれる“コモンズ”の仲間と、応援してくれる方々がいました。

 

今度は、今度こそ、仲間のみんなが自分らしく気持ちよく関われるキアリーでありたい!

そんな想いから、継続的に活動を続けるために、私は「保育士起業家」を目指してチャレンジしています。

 

2020年、新しい育児サービスが誕生します。

たくさんの人に愛され、求められるものになるように、

みんなの力を借りながら、がんばっています。

 


これから、Chiallyは再出発をきります。

新しく生まれ変わって、より確実で熱い想いを持って、

たくさんの親子と社会に幸せが広がっていくことを願っています!

to be continued...